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作為と無作為

f0236873_142436.jpg東京駒場にある日本民藝館を訪れました。さんざん良い評判をきいていたくせに、よくある民家の博物館をイメージしてしまっていたら大間違いでした。

ちょうどこの日は 河井寛次郎生誕120年の記念展が開催中で、彼の作品が多く並べられていました。
河井寛次郎、棟方志功、バーナード・リーチ、それから朝鮮の作品がいくつもあったことが印象に残っています。

この民藝館に興味をもったのは、むかし志村ふくみさんの随筆を読んだときのこと。そこに柳宗悦が始めた民芸運動のことが記されていました。(民藝館はその運動から生まれたものです。)


志村ふくみさんとは人間国宝の染織家です。まだ若かったころ柳宗悦の唱えた理念に傾倒し、一心に作品をつくりつづけ、職人としてのひとつの最高潮に達したとき、宗悦に言われるのです。「あなたはもう民芸作家ではない。」このとき破門を宣告されたかのように真っ暗になったと書かれていました。

民芸運動を語るとき「民芸」とか「工芸」いう言葉には深い思いがこめられています。
例えばそのひとつ、美を求めれば美を得ず、美を求めざれば、美を得る、とか。


民藝館に並べられた品々はどれも素晴らしいものばかりでしたが、先入観の色眼鏡をはずせないまま作品をうまく見ることが出来なかったような気もしました。

....とはいっても大満足のうちに建物をあとにしました。ときどきふらりと立ち寄りたいような場所です。
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by iftuhsimsim | 2010-10-29 01:44 | 美術館

発明のチカラ

f0236873_8372059.jpg皇居を訪れた日、国立公文書館に立ち寄りました。
近いし行ったことないから覗いてみようという発想で訪れたのですが、思いがけず小さな企画展 『公文書にみる発明のチカラ』 が開催中でした。

ここでいう「発明」とは、社会に大きく影響を与えたもののことで、「発明」に関する書類が展示されていました。明治から昭和にかけてのものが多く、明治がいかに激動の時代だったかよくわかります。

展示の最初の品は、1877年第1回国勧業博覧会の企画書でした。現在の東京国立博物館の敷地で開催され、このとき「美術館」という言葉が生まれたそうです。会場の見取り図(上野公園だとすぐわかります)や、受賞者へのメダルのデザイン画が美しかったです。


f0236873_953489.jpg公文書というと堅いイメージがついてまわりますが、絵も文字も(公文書だけに)丁寧な筆遣い、息遣いが感じられてじっくりと見てしまいました。

パソコンで所蔵検索ができるコーナーがあり、フェノロサを試しに検索してみると5~6点、契約書らしきものがありました。時間がなくて現物を見ることかなわず、残念。
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by iftuhsimsim | 2010-10-19 08:38 | 美術館

皇室の文庫(ふみくら)

f0236873_8294875.jpg宮内庁・三の丸尚蔵館に行ってきました。皇居御苑内にある小さな展示館です。

書陵部とは皇室伝来図書の保管と陵墓の管理を行う組織で、今回の展示は展覧会のタイトルどおり、書陵部が所蔵する貴重な品々のなかでも名品をまとまった形で公開するという、はじめての試みでした。

大きなスペースではありませんが、さすがと思わせる物ばかりで、見ごたえ十分です。現存最古の写本だったり、むかし教科書で暗記した事件の歴史的資料だったり。

個人的に目をひいたものとして、まずは「日本書紀」。平安から鎌倉時代にかけて写されたとされるものが展示されていたのですが、親切にも楷書で、送り仮名や読み仮名までついていたことにビックリしました。ちょっと勉強すれば読めてしまいます、きっと。

鎌倉時代の写本「古今和歌集」にはメモがぎっしり書かれており、努力のあとが見えて好感。今となってはどのように和歌が習得されていったのかがわかる史料です。

「五箇条御誓文」は日本の民主主義精神の前身といったところでしょうか。原本控が展示されていて、それはそれは地味な文書なのですが、近代日本の第一歩なんて思ってしまうとなんだか見入ってしまいます。

一番人気はいま旬な坂本龍馬の直筆、「薩長同盟の文書」でした。やはり大河ドラマの話があちらこちらで聞こえてきます。うちはテレビを見ないのでわかりませんが、この文書が登場するシーンもあったのでしょうか。

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この日も皇居ランナーとピクニックの人たちがたくさんいました。いつ来てもゆったりできて好きな場所のひとつです。
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by iftuhsimsim | 2010-10-18 09:49 | 美術館

東洋のアメリカ人

『フェノロサと魔女の町』
f0236873_1546152.jpg前回はフェノロサの著作でしたが、今回はフェノロサについての伝記です。本書は、著者・久我なつみさんがフェノロサという人物に迫るために、彼の故郷アメリカのセーラムという町(ボストン近郊の港町)を訪れ、そこで見たこと聞いたこと、肌で感じ取ったことを合わせて綴った調査記録にもなっています。

ミステリアスな語り口調ではじまり、一瞬にして引き込まれてしまいました。日本の伝統美術擁護の功績で、明治天皇から章を授与されたほどの男が、故郷セーラムで追放された。しかもこのセーラムという町は、アメリカで唯一魔女裁判がおこなわれたといういわく付きな町だということがわざわざ説明されているから気になります。

セーラムを訪れた久我さんがまず驚いたのはフェノロサの知名度の低さでした。日本だけならいざ知らず、帰国後はボストンやニューヨークで活躍した人物です。しかも単なる無知のためとは言いがたく、抹消したい意図が感じられるのです。例えば、フェノロサが持ち帰った美術品は、彼の名前を外して博物館に展示されていたり、博物館や公共図書館には彼の著作どころか雑誌の記事さえなかったり。セーラム公立図書館でやっと見つけた資料は、地元新聞の切り抜き1枚だけ。それは日本から欧米視察に派遣されたときの記事で、なんと「日本の英雄の帰郷」と報じられていました。

故郷がフェノロサを冷淡に扱っていることに疑問はつのります。

久我さんが注目したこと。それは、日本美術との出会いがフェノロサの人生を大きく変え、やがて東洋思想そのものにとりつかれた彼が、仏教に改宗してしまうという点でした。
そしてセーラムの人たちはそれをを許さなかったのではないか。異端排斥にも似た態度で。

このとき考えざるをえないのが、セーラムが異教徒に対しておこなってきた罪ともいえる歴史です。
先に書いた魔女裁判事件とは、まだアメリカが原野だったころ、少女たちが突然激しい痙攣発作におそわれたことに端を発して異端糾問がもえあがり、逮捕者は100人以上、20人が処刑されるという惨劇です。
その後、インディアンとの戦いを拒んだクエーカー教徒たちへの迫害もありました。
もとはカトリックの移民一家の子であったフェノロサは、ピューリタンが支配するこの町の歴史と保守性を十二分に知っていたはずです。

「(最後の審判で)無数の人びとを地獄に送りこむキリスト教より、かぎりなくやり直しを許してくれる仏教を信じる」とフェノロサは後に語っています。当時のアメリカでほとんど皆無といえる、クリスチャンによる異教徒への改宗。でもフェノロサにとっては自然な流れだったのではないかと久我さんは感じられたようです。

それにしてもすべてを書くには、フェノロサの人生はあまりに波乱に満ちていて複雑すぎます。
明治の豊かな文化が消えうせ、軍国主義が忍び寄る日本での2度目の滞在時に、前回ご紹介した『浮世絵史概説』が執筆されていたことを知りました。人生の大きな困難を経て、あいかわらず日本美術を愛しつつも、その見方が変化していた時期でした。

偉大なる業績にあと一歩のところで命尽きます。いまは、琵琶湖を望める山深い法明院で静かに眠っているそうです。
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by iftuhsimsim | 2010-10-09 17:53 | 渡り鳥の読書

フェノロサの浮世絵

『浮世絵史概説 ―フェノロサ厳選20木版画による浮世絵史観』
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永井荷風が浮世絵について書いた前回の本に「欧米人の浮世絵研究」という章があります。何人もの研究者がとりあげられるなか、ひときわ注目を引くのがフェノロサでした。一枚一枚の絵に年代や説明を施し(現在の定説と違う箇所もあります)、各画家の制作年限とその画風の変化を調べあげると同時に、浮世絵全盛の年代史を提示した最初の人と記されています。

フェノロサという名前は聞き覚えがあるものの、何をした人だったか。
本書の略歴をみると、アメリカの哲学者、東洋学者、日本美術研究家とあります。明治11年に御雇外国人教師として来日すると東大で教鞭をとりました。岡倉天心と共に欧米視察に出かけるところでやっと、ああこの人かと思います。アメリカに帰国後はボストン美術館の日本美術部管理責任者に就任、最終的には渡欧し、ロンドンで客死。

この本は、フェノロサが選ぶ20枚の絵をもとに、浮世絵を年代をおって観ていくというもの。先ほども少し書きましたが、フェノロサは「年代順」にこだわりを持っていました。それまでの日本美術は素材に基づいて分類されていて、例えば陶磁器、漆器、肉筆画、織物、版画といった括りで研究されていました。
でも美術とはなにか、浮世絵とはなにかと考えたときに、それは手技ではなく精神だとフェノロサは言います。ある特定の時期のものを調べるならば、同じ時期の美術の全分野を並行して考慮すべきというスタンスです。

だからフェノロサは変化に対して敏感で、本書も社会的背景や人びとの意識の変化をおさえながら、浮世絵の歴史が書かれています。年代史の具体的な内容は割愛しますが、ひとつ面白かったのは、歌麿や北斎をフランスと比較しているところ。歌麿については現代フランス美術や文学によく似て、とくにゾラの自然主義に通じるとあります。北斎の絵については、古典的なのにロマン主義を意識しているとあり、北斎は東洋のパリに現れたユゴーかデュマなんだそうです。

そういえば、ヨーロッパの有名な画家たちが浮世絵に影響をうけた話はよく聞きますが、歌麿や北斎は逆にヨーロッパを意識したりしていたのでしょうか。
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by iftuhsimsim | 2010-10-06 23:47 | 渡り鳥の読書