<   2010年 07月 ( 9 )   > この月の画像一覧

本の芸術家

『佐野繁次郎装幀集成』
f0236873_172582.jpg少しわかりにくいですが、本です。

サノシゲジロウとは、前回登場した花森安治さんの師匠である洋画家です。
1900年生まれ。37歳ではじめて渡仏し、アンリ・マティスに師事したそうです。

評論家の坪内祐三さんが「暮らしの手帖」の特集号で「自分の感受性だけを頼りに、花森安治を、そして佐野繁次郎を、別々に探し当てたとしたら、その若者のセンスは、新しく、たのもしい。」と書いておられました。

そこで佐野繁次郎とは誰だろうと調べてみたところ、実は彼に関する本はあまりありませんでした。

この本は、佐野繁次郎が手がけた装幀本のカタログのようなものです。
なるほど、花森安治の装幀と似た雰囲気があります。
手がけた作家は横光利一、林芙美子、織田作之助、谷崎潤一郎などなど。
独特な手書きの文字が特徴的でした。タイトルも著者も出版社名も手書き。ときどきフランス語のことばや文章が書かれていたりします。
ちなみに以前ご紹介したこちらの本の装幀も佐野さんによるものでした。
夏目漱石の『夢十夜』は、墨で "Ten Nights' Dreams Natsume Soseki" です。

本書の副題に「西村コレクションを中心として」とあるのですが、西村義孝さんはある雑誌の特集で佐野繁次郎に興味をいだき、蒐集をはじめます。佐野さんの作品は画集がなく、あっても展覧会の図録くらいだったので(今でもそう)、作品としての装幀本を集めようと思いついたのでした。
おかげで佐野装幀本をこれだけ一気に眺めることができるわけですが、相当に見ごたえがあります。


f0236873_109093.jpg右の写真は2005年に東京ステーションギャラリーで開催された佐野繁次郎展の図録です。

最初の装幀は、小林秀雄訳、A.ランボオ『地獄の季節』で、この最初の作品から佐野さんのスタイルはかなり完成されています。
用紙や刷り上がりの感触にこだわりがあったようです。
ある書評で、佐野さんの装幀について「紙なのに布としか見えない。(佐野さんはコラージュをされます。)結局ほんとうの布を使うより高くついたさうだが、装幀もここまで来ると芸術品だ。」と述べられています。

また、巻末に佐野さんへのインタヴューが収録されていて、制作上特に注意していることとして次のように答えられていました。 "この装幀は佐野繁次郎かな" と思わせる独特なスタイルは、こういう強い意識があってこそ生み出されるのですね。

しくじっていても意志がはっきりしている方がよい。いわゆる味といったもの、瀬戸物を焼いているときに現れるような効果にはたよらないことにしている。年数や慣れで、ひとりでに味が出てきたような絵は、自分のでも、他人のでも、魅力はない。
[PR]
by iftuhsimsim | 2010-07-31 09:01 | 渡り鳥の読書

いのちの食べ方

f0236873_15334440.jpg先日の東京国立博物館の展示でのこと、古代中国と古代エジプトで同じモチーフを題材に彫刻がつくられていました。
牛の屠殺です。
ひとりの男の人が牛の足を解体している場面で、構図もよく似ていました。

古代中国のほうは詳しい解説がありませんでしたが、エジプトでは古代から牛肉は好まれた食材であり、供物としてもよく捧げられていたようです。彫刻は死後も牛を食べられるようお墓に埋葬されたものでした。



10年くらい前に中国の田舎を旅したときに目の前で豚の解体をみて以来、豚でこれなら牛はどれだけ凄まじいのだろうと秘かな関心事でした。

『いのちの食べ方』というドキュメンタリー映画を見つけたのは先々週のことです。
ドイツ周辺で取材されたもので、動物だけでなく、野菜や穀物なども含め、私たちの口にする食べ物がどのような過程で食卓までやって来るのかが撮られています。ナレーションも音楽も何もなく、映像のみで伝えます。

牛の工場の風景は一見SF映画でもみているかのようでした。大きな体が一瞬にして倒れ、機械に吊るされながら流れ作業で少しずつ切り分けられていきます。効率よく、驚くほど淡々と。
種牛をつくっているシーンもありました。
動物が「いのち」ではなく「商品」にしか見えなかったのは、ある程度予想していたものの軽いショックでした。

この映画は批判ではなく、現状を知っておこうよという一つの提案です。
いろいろ考えさせられることがありました。
何かがわかったというより、自分の知らないこと(知ろうとしていないこと)がまだまだたくさんあることを教えてくれました。私の関心事は広がりをみせながら続いていきます。
[PR]
by iftuhsimsim | 2010-07-28 17:54 | 映画

文明誕生!

f0236873_1041510.jpg東京国立博物館に行ってきました。中国王朝発祥の地とされる河南省で出土した品々が紹介されています。
「青銅器、金銀器、漆器、陶磁器、壁画、彫刻、文字資料など、約150点の名品が勢ぞろい。」とうたっているだけあって、バラエティに富んだ展示内容であるうえに、質のよいものばかりでした。
個人的には司馬光の書と、骨に刻まれた甲骨文字が見れたのが良かったのと、三彩の品にじっと見入ってしまいました。


f0236873_2349366.jpgさて、同じ平成館の小さな一室でひっそりと開催中なのがミイラ展です。
埋葬品やミイラの包み布、そして本物のミイラが一体、展示されていました。

人間までもを永遠に残しつづけようとした世界観と、文字が極度に発達していたことで、これまでに多くの謎が発見され解明されてきました。
そしてそれ以上にいまだ未知の領域がたくさん残されています。
古代エジプトがこの何百年もの間、多くの人たちの関心をひいてやまないのは、この解明と未知のバランスが絶妙なのかもしれないと思ったりします。

ミイラというと以前は少しぞっとするものでしたが、最近は平気になってきました。明々と照明のついた部屋で展示されいていると、顔の特徴など見比べたり、ときには愛嬌を感じることも。
でも、薄暗い部屋に置かれているとやっぱり不気味ですね。イタリアのフィレンツェにある考古学博物館のミイラ室に行ったとき、中に入ってみるまで何が展示されているのかもわらからないうす暗さで、気づいたときには右も左もミイラ。あの時の気味の悪さは忘れられません。


話題が少し変わりますが、中国文明展とエジプトミイラ展の両方で、ある同じモチーフを用いた品が展示されていました。私がずっと興味あったことで、かつそれに関係した映画を最近観たばかりだったものだから目をひきました。
どのようなモチーフかというと・・・、また次回。
[PR]
by iftuhsimsim | 2010-07-26 10:26 | 美術館

ボローニャ国際絵本原画展

f0236873_1844285.jpg応募資格対象:全世界。
新人イラストレーターたちの登竜門とされている絵本原画コンクールがボローニャで毎年開催されていて、今年の入選作品が来日しました。

5枚1組の子どもの本、とあるのですが、どうみても子ども向けではないような作品もありました。

気になった作品がいくつか。
まずは、イタリア人作家のキアーラ・アルメッリーニさんの『アイウエオ』。
Aはbaboon(ヒヒ)の絵、Iはlion(ライオン)の絵、Uはturtle(カメ)の絵、Eはzebra(シマウマ)の絵、Oはowl(フクロウ)の絵。
なぜ日本語? イラストもさることながら、タイトルに興味ひかれてしまいました。日本にゆかりのある人なのかと調べてみましたが、とくにそういう情報は見当たらなかったです。

ドイツ人作家アムライ・フィードラーさんの『わたしの犬』は、初めて見る表現方法だったので印象的でした。
顔や手足が2重の線で画かれています。例えば犬の顔の場合、うつむいている顔と見上げている顔が重なって画かれているので、いまは見上げているけど、さっきまではうつむいていたのだなと分かるわけです。
犬の向かいにいる女の子の顔もそう。いまニッコリ笑っているけど、さっきまではそうでもなかったのが分かります。
審査の様子などを映したフィルムが展示会場で流れていて、そのなかで審査員のひとりが「時間的概念を取り入れた作品」と表現されていました。

フランス人作家のダニエル・ハルさんの『人ごみ』では、白い紙に黒のインクでたくさんの人が描かれています。そして描かれたたくさんの人が模様を形作ります。模様といってもマルとか三日月とか簡単なもの。
さらさら~と描いているかのような線ですが、よくよく見ると、どの人もなんとなくその人なりの表情・ポーズがあって面白かったです。こういう単純でないシンプルさが大好きです。


追記:キアーラ・アルメッリーニさんの作品の原題は『aeiou』で、イタリア語の基本母音でした。
意訳して「アイウエオ」になったのですね。語順は入れ替わっているものの、文字も意味もしっかり訳されています。

[PR]
by iftuhsimsim | 2010-07-21 18:53 | 美術館

シャガール展

f0236873_2191517.jpg東京藝術大学美術館で開催中の「シャガール-ロシア・アヴァンギャルドとの出会い」展に行ってきました。

シャガールの絵はシュルレアリスムと思っていましたが、フォーヴィスムやキュビスムが強調されていたので新たな発見でした。

自分の作品はヨーロッパの画家の隣ではなく、むしろ20世紀初頭のロシア美術のための美術館に展示されるべきだと、生前にシャガールは語っていて、今回の展覧会はシャガールの望みどおりの内容を狙ったようです。ロシアの画家の作品も多く並べられていました。


私が一番楽しんだのは、シャガールがモーツァルトのオペラ『魔笛』の舞台制作にたずさわったときに描いたスケッチです。衣装や舞台セットのイメージを描いた絵がたくさん展示されていました。
一枚の紙に、インクや鉛筆、油彩や水彩、布や色紙など、様々な素材を用いて描かれたシンプルな図案は、ひとつひとつが魅力的です。
これを観てしまうと気になるのはやはり、1967年ニューヨークのメトロポリタン劇場で上演された『魔笛』の舞台。どこかに映像が残っていないでしょうか?


展示会場ではシャガールに迫るフランスのドキュメンタリー映画 『シャガール:ロシアとロバとその他のものに』 も上映されています。52分と少し長めですが立ち見してきました。奥さんのベラはシャガールが何枚も絵に描いているけれど、本人も相当に美しい人ですね。シャガールへのインタヴューや制作時の様子、20世紀当時の映像が多く収録されていて、貴重な映画です。
[PR]
by iftuhsimsim | 2010-07-19 10:34 | 美術館

価値観

『花森安治の仕事』
f0236873_1781970.jpg前回につづき、花森安治です。雑誌『暮らしの手帖』を創刊し、死ぬまで編集長を務めた人物です。
本書には花森安治の偉業とそれにまつわるエピソードが綴られています。

おかっぱ頭でスカートをはいていた。
想像していた人物とはずいぶん違っていたものだから一瞬驚きました。
話題をつくるための広報活動の一環ともいわれていますが、だからといって女装してしまうなんて普通の人にはなかなかまねできませんね。

何冊か読んでみて必ず出てくる話題は、スカート姿と商品テストと大政翼賛会のこと。これ抜きに花森安治は語れないのかもしれません。

「商品テスト」とは暮らしの手帖の目玉コーナーです。発売された様々な製品の良し悪しを、独自の方法でテストして公表するのです。消費者のためではなく、生産者のために始めたというのは、メーカーに良いモノをつくって欲しいから。
良いモノしかなければ、消費者は賢くならなくてもお財布と相談するだけでいい。そういうクニをつくりたいというのが花森さんの願いでした。ときは戦後の高度経済成長期。大量生産社会に対する警告でもありました。

雑誌で取りあげるか判断する基準は3つあって、生活必需品は別にして、その物が、多くの人の暮らしにあったほうがいいか、なくてもいいか、あっては困るものか、でした。そしてあったほうがいいものとあっては困るものを優先させます。
テストの中立性を保つため、外部の広告はいっさい載せませんでした。それでも商業雑誌として成功したのですから、日本のモノづくりに大きな影響を与えたことは確かです。

花森さんは日々の暮らしにこだわりました。
「生活」ではなく「暮らし」だと念を押されています。
生活と暮らしの違いをどうとらえられていたのかはわかりませんが、私の印象として「生活」よりも「暮らし」のほうに、より個人の思想のようなものが含まれている感じがします。
そしてその彼のこだわり、意地のようなものは、かつて経験した戦争からきていたのでした。

戦時中、花森さんは大政翼賛会の宣伝部で働いていました。
「欲しがりません、勝つまでは」の標語普及に関わった逸話がよく語られます。
当時の活動については本人がほとんど語っていないため、詳細はあまりわかっていません。

しかし戦後20年たって、花森さんは戦争について積極的に発言し始めます。
そしてわずかながら大政翼賛会時代のことに触れたこともあります。

ボクは、たしかに戦争犯罪をおかした。言い訳をさせてもらうなら、当時は何も知らなかった、だまされた。しかしそんなことで免罪されるとは思わない。これからは絶対だまされない。だまされない人たちをふやしていく。その決意と使命感に免じて、過去の罪はせめて執行猶予にしてもらっている、と思っている。

あいかわらず物に溢れている日本。
もう花森安治はいません。
私たちは少し賢くなるよう、自ら取り組むときかもしれません。
[PR]
by iftuhsimsim | 2010-07-14 00:50 | 渡り鳥の読書

名物編集長

『一戔五厘の旗』
f0236873_1033719.jpg前回の本に、鴨居羊子が花森安治に大阪を案内したというエピソードがありました。

花森安治についてあまり多くは知らないくせに、私には大事にしている彼の文章がひとつあります。
『早春と青春』を自分の持ち物にしたくて、2月3月頃になると毎日そらで口ずさみます。
季節が違うので、内容は割愛。
とにかく良い機会なので花森安治という人を知ろうと思いました。

花森安治は、1948年に雑誌『暮らしの手帖』を創刊し、以後30年間、死の前日までペンを握り、編集長を勤めた人です。

この本は、『暮らしの手帖』から花森さん自身が選んだ29篇が収められています。そしてその一つ一つが傑作です。
『塩鮭の歌』や『札幌』では文章の静謐さと迫力にはっとさせられ、『商品テスト入門』などでは花森安治がどれほど本気で日々の暮らしを大切に思い、この国を変えようとしていたかを知ることができます。

でも一番心に迫ってくるのは、戦争について書かれたものでしょうか。
暮らしの手帖が100号を迎えた1969年頃から、花森さんは戦争について触れるようになります。終戦から20年以上の時が経っていました。

「一戔五厘」とは戦時中の葉書1枚の値段です(本当はもっと安かったそうですが)。花森さんが軍隊のいたとき、「兵隊は一戔五厘でいくらでも代わりが来る」と怒鳴った軍曹がいたそうです。
戦後になって、花森さんは一戔五厘の旗を掲げます。
一戔五厘の旗とは、こじき旗。ぼろ布端布をつなぎ合わせた暮らしの旗。世界ではじめての庶民の旗。

すべてを失った焼け跡がスタート地点であるかのように、花森さんの書く戦争にはどこか、決意表明のような空気があります。

「国をまもるということ」は、今日のような日に読むのがふさわしいかもしれません。
 
 いま、だれかが、「なぜ〈くに〉は守らなければならないか」と質問したら、やはり答えられないだろう。・・・
 いったい〈くに〉とは何だろうか。・・・ぼくが、実感として〈くに〉を肌に感じるのは、税金をはらうときである。・・・ぼくにとって、〈くに〉とは、いつでもなにか不当にいためつけようとたくらんでいる、そんなもののような気がして仕方ない。・・・
 〈くに〉に、政府や国会にいいたい。〈くに〉を守らせたために、どれだけ国民をひどい目にあわせたか、それを、忘れないでほしい。・・・
 いまの世の中を、これからの世の中を、〈くに〉が、ぼくたちのためになにかしてくれているという実感をもてるような、そんな政治や行政をやってほしい。
 それがなければ、なんのために〈くに〉を愛さなければならないのか、なんのために〈くに〉を守らなければならないのか、なんのために、ぼくたちは、じぶんや愛する者の生命まで犠牲にしなければならないのか、それに答えることはできないのである。


今日の参院選、誰にしようか迷いに迷って、投票に行ってきました。
[PR]
by iftuhsimsim | 2010-07-11 17:05 | 渡り鳥の読書

五感の本展

f0236873_15375658.jpg先日、JR品川駅近くのギャラリー・オキュルスで、さまざまな「作品の本」に触れてきました。

紙質。
紙の上を走る線や色。
文字。

作家の息づかいが聴こえてきます。

紙に触れる緊張感とよろこび。
絵を描いて、
詩を書いて、
自分でも本をつくってみたくなりました。


キンドルやiPadが大人気ですが、そのうちに「手軽な電子書籍」と「高価な紙の本」という二極化が進み、いつか「手軽な紙の本」が消えてしまうのではと、本好きは大げさにいろいろと危惧してしまうところです。

紙媒体の本の魅力は、読書体験が本に染み付くこと、そして人と貸し借りができることだと思います。

家の本棚を眺めてみると、この本は独り暮らししていたあの部屋で机に向かって読んでたなぁとか、この本は毎晩寝る前に布団の中でちびちび読みすすめてたとか、これは誰々さんに貸した本だとか、
意識して覚えているわけではないのですが、ほとんどの本に対してすぐに記憶が蘇ってきます。

自分の気に入っている本ほど人に貸す割合が多いものなのでしょうか?
どうも私の場合はそのようです。
書棚の本をみて思い出す人のなかには、ある一時のあいだ毎日顔を合わせていたけど、連絡先は知らないしもう二度と会うことはないかもしれない人もいます。
おぼろげだけど、でも共有していた時間が確かにあった。そんな出会いも私は気に入っていたりします。
[PR]
by iftuhsimsim | 2010-07-06 11:23 | 美術館

のら

『のら犬・のら猫』
f0236873_154399.jpg前回につづき鴨居羊子のエッセイ集です。
展覧会で鴨居羊子の絵を観て興味ひかれたモチーフに「動物」がありました。とりわけ犬や猫。
1枚2枚観た程度では分からなかったかもしれませんが、5枚6枚、9枚10枚と観ていくうち、彼女の動物に対する思いがちょっと普通ではないことに気づきます。
カワイイとかスキという域をはるかに超えています。

街の角で彼らに行き交い、親しく話し合い、そして別れるという人間と動物の交わりは、いつも対等で平等で愉快である。

鴨居さんには会社の行き帰りにいつも気にかけている野良の犬や猫たちがいました。
「友達であり、同士であり、家来であり兄弟」
そんなまなざしの持ち主が書いたこの本の中では、動物たちはみな表情が豊かで、にんまりと笑ったりしています。犬なのに小さいながらに女らしさを持っていたり、哲学者の面持ちをしていたり。
                            まるで人間のよう!

昭和のはじめの頃は野良が多くいた時代で、犬捕り犬殺しが盛んに行われていました。
社会の秩序を保つために。
それは文化的な行為なのか?という彼女の言葉には怒りと哀しみと失望がありました。
仲良しだった犬たちも捕まり、事故や病気で動物たちは次々と死んでいきます。
生きている鴨居さんはときにはラブレターのように、ときには涙にぬれながら、けものたちとの日々を書き溜めていきました。

野良がすきなのは、自活して生きる彼らとしか話せないことがあったからなのでしょう。
物理的な距離ではなく、心の距離で関係を測ります。
だから目の前から消え去った動物たちのことを想いつづけ、目の前にいる動物たちを飼い慣らそうとか支配しようとはしません。

動物と仲良くなるためには秘訣があって、まずわざと相手を見ないのです。逆に相手に自分を観察させ、自分にスキを作ります。そうすると動物たちの恐怖感や疑念が薄らいでいくそうです。f0236873_10113871.jpg
動物には、人間と違って何の言い訳もごまかしも通用しないし、
彼らの拒否には絶対的なところがあります。
だからこそ魂が触れ合ったときのよろこびといったら・・・

「わたしのものよ!」
[PR]
by iftuhsimsim | 2010-07-02 09:39 | 渡り鳥の読書