本のあしおと

舞姫のヒロイン

渡り鳥の読書
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『鴎外の恋 舞姫エリスの真実』
前回の本が「考えぬく」としたら、今回は「調べぬく」です。 森鴎外の『舞姫』に登場するヒロイン・エリスとは誰なのか。この疑問は昔から多くの人の興味をかきたて、さまざまな説が出されてきましたが、どれもいまひとつ納得いくものでないというのが著者の感想でした。 ドイツ在住の著者・六草さんはある日、誘われた会でたまたま隣に座った男性の口から思わぬ言葉を耳にしました。「オーガイというその軍医、その人の恋人は僕のおばあちゃんの踊りの先生だった人だ」 この一言からエリス探しが始まります。 鴎外にはドイツ留学時代に恋人がいて、それがエリスのモデルでは、という話はどこからともなく聞いたことがありますが、その恋人なる人が来日までしていたとは初めて知りました。 鴎外は、所持していた「エリス」にまつわる物ほとんどすべてを死の間際、自分の目の前で焼失させました。この世に残されている資料はわずかです。 この本の魅力は、そんなわずかな資料をたよりにおこなわれた徹底的な調査過程の、手に汗にぎるおもしろさにつきます。だから詳細は控えますが、とくに興味深かったものに個人情報(日本でいう戸籍みたいなもの)の保存のことがあったので、そのことだけ書き留めておきます。 ●ひとつはナチ時代のユダヤ人の個人情報。(エリス・ユダヤ人説に著者は消極的でしたが、念のため調査されていたのです。)祖父母の代から誰がユダヤ人で、本人は何パーセントユダヤ人かという記録が一人ひとり残されているのです。昔アメリカでも黒人に対して同じようなことをしていたと思います。これで「処分」する優先順位が一目でわかります。そらおそろしさを感じました。 ●もうひとつは教会簿。たとえ一日もない命だったとしてもこの世に生まれたからには教会簿に記録されるとありました。(他の国の事情はわかりませんが。)本書では1700年代生まれの人の記録が出てきましたが、記録はいつから始まっているのでしょうか。 どちらの資料も大戦中に多くを焼失したようなので完璧ではありませんが、こんな徹底的で緻密な資料にはおどろきです。 この人が「エリス」かもしれないと高鳴る期待が行きづまり、さいごのさいごで一気に崩れ落ちる。そんなことを繰り返しながら、六草さんが探り当てた貴重な事実! 最終的にたどりついた「エリス」像はまだ仮説の域をでませんが、読みごたえは十分です。 この本を読み終えたとき、人の人生の壮大さを思うとため息がでてしまいます。
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