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事実と虚構

『歴史と表象』

f0236873_18192823.jpg前回の小説では、フェルメールの絵画に対する定説に疑問を投げかける大事件が起こりました。
定説ってひとつの大発見とか人の考え方ひとつで180度変わってしまうことがあります。今回の本はそういう意味合いで「歴史」が発見されたときのお話です。
以前読んだ本ですが、ふと読み返したくなりました。


学者が書いた歴史と、小説家が書いた歴史。
それぞれにどのようなイメージを持たれているでしょうか。


「歴史小説」が誕生したのは19世紀初頭。
それまで、歴史家が書く叙述は「文学」の一部でした。19世紀に歴史学という分野が生まれ、歴史叙述と歴史小説は区別されるようになったのです。

19世紀のフランスといえば、フランス革命! ここで歴史認識はがらりと変わることになります。

ひとつは、いま目の前で起こっている出来事が自分たちの社会に影響を与えている、過去と現在はつながっているという認識が生まれたこと。(17~18世紀の「歴史」で扱われるのは古代ギリシャ・ローマばかり。倫理的・政治的な面での教科書でなくてはならなかったためでした。)

もうひとつは、「民衆」が歴史の主役になったことです。



本書ではフランス人作家の作品を読み解いていき、それぞれの作者がどのように歴史を作品に取り入れているかをみています。たとえば...
ヴィニー: 実在の人物が中心で、架空の人物は民衆の1人として歴史に立ち会う。
メリメ: 架空の人物の行動で物語が展開していく。
バルザック:架空の人物と実在の人物が出会うことで、架空の人物に歴史的な密度を与え、実在の人物を虚構化する。


実在の人物や出来事を詳細に書いていないからといって、作者の知識が不足していたわけではありません。
作者の「歴史」に対する態度がはっきり見てとれて、おもしろいなあと思います。


著者の小倉さんによると、「歴史小説」は「大衆小説」と同一視されて、必要以上に価値が低く見られがちのようです。そこに疑問を投げかけます。支配者ではなく、大多数の民衆の歴史・人間の歴史を知るうえで、「歴史小説」は新たな切り口をくれるのでは、と。


「民衆」はとても重要なテーマです。まさに学問と創作を結びつけるのが「民衆」だからです。
19世紀の歴史の発見は、イコール民衆の発見であったのだと思わせられるほど、本書では民衆についても熱く語られています。
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by iftuhsimsim | 2011-01-08 00:30 | 渡り鳥の読書
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