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東洋のアメリカ人

『フェノロサと魔女の町』
f0236873_1546152.jpg前回はフェノロサの著作でしたが、今回はフェノロサについての伝記です。本書は、著者・久我なつみさんがフェノロサという人物に迫るために、彼の故郷アメリカのセーラムという町(ボストン近郊の港町)を訪れ、そこで見たこと聞いたこと、肌で感じ取ったことを合わせて綴った調査記録にもなっています。

ミステリアスな語り口調ではじまり、一瞬にして引き込まれてしまいました。日本の伝統美術擁護の功績で、明治天皇から章を授与されたほどの男が、故郷セーラムで追放された。しかもこのセーラムという町は、アメリカで唯一魔女裁判がおこなわれたといういわく付きな町だということがわざわざ説明されているから気になります。

セーラムを訪れた久我さんがまず驚いたのはフェノロサの知名度の低さでした。日本だけならいざ知らず、帰国後はボストンやニューヨークで活躍した人物です。しかも単なる無知のためとは言いがたく、抹消したい意図が感じられるのです。例えば、フェノロサが持ち帰った美術品は、彼の名前を外して博物館に展示されていたり、博物館や公共図書館には彼の著作どころか雑誌の記事さえなかったり。セーラム公立図書館でやっと見つけた資料は、地元新聞の切り抜き1枚だけ。それは日本から欧米視察に派遣されたときの記事で、なんと「日本の英雄の帰郷」と報じられていました。

故郷がフェノロサを冷淡に扱っていることに疑問はつのります。

久我さんが注目したこと。それは、日本美術との出会いがフェノロサの人生を大きく変え、やがて東洋思想そのものにとりつかれた彼が、仏教に改宗してしまうという点でした。
そしてセーラムの人たちはそれをを許さなかったのではないか。異端排斥にも似た態度で。

このとき考えざるをえないのが、セーラムが異教徒に対しておこなってきた罪ともいえる歴史です。
先に書いた魔女裁判事件とは、まだアメリカが原野だったころ、少女たちが突然激しい痙攣発作におそわれたことに端を発して異端糾問がもえあがり、逮捕者は100人以上、20人が処刑されるという惨劇です。
その後、インディアンとの戦いを拒んだクエーカー教徒たちへの迫害もありました。
もとはカトリックの移民一家の子であったフェノロサは、ピューリタンが支配するこの町の歴史と保守性を十二分に知っていたはずです。

「(最後の審判で)無数の人びとを地獄に送りこむキリスト教より、かぎりなくやり直しを許してくれる仏教を信じる」とフェノロサは後に語っています。当時のアメリカでほとんど皆無といえる、クリスチャンによる異教徒への改宗。でもフェノロサにとっては自然な流れだったのではないかと久我さんは感じられたようです。

それにしてもすべてを書くには、フェノロサの人生はあまりに波乱に満ちていて複雑すぎます。
明治の豊かな文化が消えうせ、軍国主義が忍び寄る日本での2度目の滞在時に、前回ご紹介した『浮世絵史概説』が執筆されていたことを知りました。人生の大きな困難を経て、あいかわらず日本美術を愛しつつも、その見方が変化していた時期でした。

偉大なる業績にあと一歩のところで命尽きます。いまは、琵琶湖を望める山深い法明院で静かに眠っているそうです。
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by iftuhsimsim | 2010-10-09 17:53 | 渡り鳥の読書
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