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町を書いた作家

『図説 永井荷風』
f0236873_15301072.jpg浅草にゆかりある作家に永井荷風がいます。前回の林芙美子同様、歩いて散策するのが好きな人でした。

荷風の歩き方には特徴があります。
東京を山の手と下町とにわけ、対照的に見ていたようです。良家に生まれた山の手出身の荷風は、しかし下町に心惹かれます。
奥へ、はずれへ、中心から離れた場所を求めました。誰も気にもとめないような寂しい風景に美を見ました。

この本には荷風の独特な町(文化)の見方が、どのようにして培われたか詳しく説明されています。

一番の基本的な下地は、両親の影響でした。ヨーロッパ赴任で新しい思想を身につけた東洋趣味の父と、江戸文化に親しみながら熱心なクリスチャンであった母。合理的な西洋思想を獲得しながら、文化や芸術を肌で理解していったのです。


そしてアメリカからフランスへと5年にわたる遊学。渡航を切望したフランスで荷風が目にしたものは、彼の視点を大きく変えました。フランスの町にあったものは「新しさ」ではなく、「昔臭さ」だったのです。
他の日本人たちとは違い、アメリカ経由のため、アメリカ人の目でフランスを見たからだと言われています。

帰国後、表面的な近代化を推し進める日本に否定的で、江戸趣味に入れ込んでいきます。
荷風の視点が彼の小説にどう反映されているかも本書には説明があり、これから読んでみたい本が何冊もありました。
名声を失いかけた浅草通いなどがクローズアップされがちですが、深く知れば知るほど味のある面白い人物だと思えてきます。



以前住んでいた家の近くに、浄閑寺というお寺がありました。通称なげこみ寺。1855年の大地震、関東大震災、東京大空襲のときなど、吉原の多くの遊女たちが葬られたことから名づけられました。荷風もたびたび訪れたようです。
歩いていたら偶然行き当たり、そっと境内に入ってみたことがあります。荷風の『震災』という詩が刻まれた石碑が建っていました。
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by iftuhsimsim | 2010-08-28 16:16 | 渡り鳥の読書
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